自殺する人は
死にたくなることってあるじゃないですか。
人生びっくりするぐらいうまくいかなくて、自分ではどうしようもできないことばかり起こって、いやこれ何をどうしても、好転する未来が見えない、今この瞬間がまじでいらない、みたいなことが。
わたしはここ数年間もう笑っちゃうくらい不幸なことばかり起こって、死にたいと毎日思っていたんですが、でも死ななかったのは「なんでこの大切であるはずの私が理不尽に死ななきゃいけないの?」というこの感覚があったからでした。
2年前の1月、わたしはイギリスの大学院の修了式に行くための飛行機の中でひとり、圧倒的に死にてえと思いながら以下の文章をスマホのメモ帳に書いていました。
昨年の大晦日、同じ寮に住んでいた子が自殺した。
わたしはその日友人とニューカッスルに出かけていて、その帰りにそれを知った。なにも死ぬことはないのに、と思った。その頃のわたしは、エッセイがびっくりするくらい書けなくて、卒業できなかったらどうしよう、死にたい、とかそんなことを毎日考えていたと思う。エッセイが書けないくらいで死ぬなんて馬鹿らしいかもしれないけど、わざわざ大金を払ってイギリスまで来て卒業できなかったらと考えて毎日鬱々としていた。
死んだ彼女のことは知らなかったけど、自殺という言葉がとても重くて、鬱々としていた気分が一瞬で覚めたような気がした。死にたいと思うことはできても、それを実行に移すのはなかなかできることではない。
ニューカッスルに一緒に行っていた友人は、なんだか飄々としていた。紛争地域で育ったから、人が死ぬということに慣れているのかもしれなかった。彼はしばらくして、彼女がどんなふうに死んだのか、誰がどうやって発見したのか、そんなことを、聞いてもいないのに教えてきた。出身国が同じ友人たちに聞いたらしかった。
なんでそんな細かいこと知ってるの、と聞いたら、彼は笑いながら「だって僕たちは○○人だからだよ、」と言った。噂好きで、人と人とのつながりが強くて、どんな話もあっという間に広がってしまうという意味で言ったんだろうと思う。
もし死んだのが同じ国の子だったとしたら、彼は同じ反応をしたかな、とぼんやり思った。そして、「自殺する人は勝手だ」とも彼は言った。死んだ子のことをまったくなにも知らないから言えるんだろうな、と思った。
わたしだってその子の事情もその子自身のこともなにも知らなかったけど、そんなことを言われる筋合いはないはずだと思った。彼が言ったどんな言葉よりも、わたしはもう1人の友人が言った言葉のほうがはるかに納得できた。
自殺するのは、sadだから。
突き詰めれば、そういうことなのかもしれないと思った。いろんな理由はあるにせよ、心がsadだから、死にたくなってしまう。その友人は、彼女と友人ではなかったけれど、少し話したことがあるらしかった。そのとき、確かにsadな雰囲気だったと。お茶にでも誘っていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。そんな些細なことで彼女の心が救われたかはわからないけど、と友人は言った。
そして、ひとつのエピソードを教えてくれた。アメリカの、自殺で有名な橋で自殺未遂をした人の話。その橋から飛び降りる直前に、通りがかりの人が微笑んでくれて、それだけで、死にたくない、と思ったらしい。
誰かが、自分の存在を認めて、優しくしてくれる、気にかけてくれる、大切にしてくれる、寄り添ってくれる。あなたは大切な存在だから、そんな悲しい終わり方をしてはいけないと気づかせてくれること。
たまにSNSで昔の同級生の出産報告を見ることがあるけど、生まれたての子どもを見て、幸せに楽しく生きてほしいなと思った。いつまで経っても独身の寂しいわたしがそんな純粋なことを思うことに驚くと同時に、きっとわたしが生まれたときも、誰かが同じようにわたしの幸せを願ってくれたはずだということに気づいた。
自分の命は自分のもので、どんな扱い方をしようが自由だと思っていたけど、自分が大切な存在だということを、当たり前の事実としていつも思い出さないといけない。自殺する人は、そのことを忘れているのかもしれない。
周りの人が、sadな気持ちに気づいて、あなたは大切な存在なんだよ、と気づかせないといけない。だから自殺する人は自分勝手なんかじゃなくて、ただただsadなんだと思う。
わたしはこの言葉をどう訳せばいいのかわからない。シンプルな言葉ほどいろんな意味が含まれていて、受け取る人によって意味が違ってくる。悲しい、寂しい、辛い、しんどい、いろんな言葉があるけど、たった3文字のsadという言葉は、シンプルだからこそどきりとする。
自殺という大きな言葉の前では、あまりにも些細に思えるぶん。
わたしは、周りの人が悲しむから死んじゃダメだよ、なんて言うよりも、あなたは誰が何と言おうと大切な人間なんだから、悲しい終わり方をしてはいけないから、死なないでほしいと思っています。それをいつも思い出してほしいと思います。

