
JTF翻訳祭に行った話(その2)
さてさて、その2です。
午後は、芥川賞作家である九段理江さんの基調講演がありました。
講演の内容は、オフラインということで詳しくは書かないようにしますね。
ただ、翻訳に関する話題で、九段さんが英語版の翻訳者さんに多少意味が異なったとしても原文のリズムを大切にしてほしいと伝えた、というお話が印象に残りました。
九段さんは、言葉そのものの可能性を追求している作家さんなのだなと思いました。言葉にこだわり抜いて作品を書いていらっしゃるのかなと。
自分の話にはなりますが、翻訳をしているわりにそんなに小説をたくさん読む方ではないんですよね。実は。
翻訳のお仕事をしているのは、ストーリーよりも言葉そのものに興味があるからです。ですので校閲やコピーライティングのお仕事などにも興味があります。
日本語にない表現を発見したり、日本語の知らなかった側面を知ったり、擬音語や擬態語を使って文章を書いたり。どんな表現を使えば、原文の雰囲気やリズムを再現できるのかを考えるのが楽しいのです。
あまりストーリーに入り込みすぎると、個人の感情が入ってしまって訳が歪むような気もするんですよね。
とはいえ、どうしても翻訳には翻訳者が持っている言葉に対する感受性や癖が反映されますから、よく透明な翻訳などということが議論されますが、それは無理な話です。
わたしは、原文に含まれているもの、例えば作者の伝えたいことや言葉へのこだわり、リズムをできる限り再現するのが翻訳者の仕事だと思っています。自分の個性を出したいなら、創作すれば良いということになりますので。
ストーリーを語るためのツールとして言葉を使うというより、言葉にこだわって創作している作家さんが好きです。
情景を見事に表した比喩表現などに出会うと感動しますね。
大学生のころ、大江健三郎を読む、という授業がありましたが、なかでも『飼育』という作品が強烈に印象に残っています。
少しご紹介しますね。
しかし、黒人兵はふいに信じられないほど長い腕を伸ばし、背に剛毛の生えた太い指で広口瓶を取りあげると、手もとに引きよせて匂いをかいだ。そして広口瓶が傾けられ、黒人兵の厚いゴム質の唇が開き、白く大粒の歯が機械の内側の部品のように秩序整然と並んで剥き出され、僕は乳が黒人兵の薔薇色に輝く広大な口腔へ流しこまれるのを見た。黒人兵の咽は排水孔に水が空気粒をまじえて流入する時のような音をたて、そして濃い乳は熟れすぎた果肉を糸でくくったように痛ましくさえ見える脣の両端からあふれて剥き出した喉を伝い、はだけたシャツを濡らして胸を流れ、黒く光る強靭な皮膚の上で脂のように凝縮し、ひりひり震えた。僕は山羊の乳が極めて美しい液体であることを感動に脣を乾かせて発見するのだった。
大江健三郎『死者の奢り・飼育』(新潮文庫)より
ありありと目に浮かぶ情景の解像度があまりに高くて、気分が悪くなるほどでした。わたしは先生に、「気持ち悪いです」と率直な感想を述べたのですが笑、それはきみ、読めてるということだよ、と先生が仰られたことを覚えています。
さらに余談にはなりますが、わたし「徹子の部屋」が好きです。
さまざまな年代の方が、それぞれ独自の言葉でお話しになるので、ときどき面白い表現に出会ったり、耳慣れない言い回しを知ったりします。
たとえば徹子さんはよく「相当おかしいわね」と仰るのですが、そうした言い回しは若い方はしないですよね。
1980年代の徹子の部屋を観ると面白いです。若い女優さんがとても品のある話し方で、「〜しますでしょ」なんていう言葉を使っていたりします。言葉の使い方はたった数十年でもかなり変わっていきますよね。
話がだいぶそれてしまいましたが・・・
九段理江さんは、わたしが数年前に偶然買った文學界2021年5月号で、文學会新人賞をお受けになったのですね。
わたしはこの時、鴻巣友季子先生が訳したアマンダゴーマンの詩「わたしたちの登る丘」の圧倒的なすばらしさに打ちのめされて買ったので、うっかり見逃してしまっていたのですが。
興味深いお話をたくさんしてくださり、わたしはひとつ気になることがあったので質問しました。100人超えの会場で手を挙げて質問するなんて、以前のわたしなら考えられなかったことです。小学生のころは、塾で先生に質問するのもひとくろうだったのに・・・
イギリスの大学院で学んでいたとき、わたしは世界に向けて翻訳される日本文学の表紙についてエッセイを書いたことがありました。
早い話がステレオタイプですね。まったくストーリーに関係のない日本髪の女性が表紙になっていたり、富士山や浮世絵が描かれていたりすることが多いのです。
九段さんに、作品の表紙が翻訳版で作り変えられてしまうことについてどう思われますか、と質問をしました。
特に大きなこだわりはないとのことでしたが、あまりにも・・・という表紙だったら意見はするかな、とのお答えでした。芥川賞受賞作『東京都同情塔』の韓国版の表紙は、明らかにスカイツリーですよねぇ、と苦笑されていましたが。
わたしなんかは、表紙をまるっと変えてしまうことについて思うところはありますが、売れなきゃしょうがないですからね。まず、手に取って、興味を持っていただかなければ始まりませんし。
なかなか翻訳にまつわる話は、理想論だけではうまくいかないところがあります。
原文の雰囲気やリズムを伝えると言っても、訳者によって読み取れるものは異なってくるでしょうし、訳者が持っている語彙や表現も、普段触れている文章や、年齢によっても当然違いますし。
とはいえ、この文章は明らかに韻を踏んでいるだとか、光のイメージが散りばめられているだとか、そんな点は読み取れなきゃいけないのですが。わたしもがんばらなければ・・・
基調講演の後は、交流パーティーでした。
パーティーというものは、わたしが苦手とするもののなかでもトップに君臨しますが、名刺配りビジネスイベ、ということでがんばって参加することにしたのです。知り合い、誰もいないのに・・・笑
それでも、パーティーでお話しした翻訳者のみなさんや翻訳会社の方々はとても優しかったです!ありがとうございました。


パーティーの後は、宿泊先の東急ステイへ。非常に快適で清潔なホテルでした!おすすめ。

メールを返したり、日課のピラティスをしたり(肩こりにお悩みの方、ぜひ!!!)してから、早めに寝ました。早寝早起き、大事。
それでは、その3に続きます!

