
光を知らない影などないから
みなさま、光を知らない影などないんですよ。
これは、イ・スンチョルさんが歌う、松井五郎さん作詞の「さよなら3」という歌からの引用です。
母が観ていたドラマのエンディングに流れていた曲で、この言葉がまっすぐ胸に刺さりました。
ーー光を知らない影などないから 愛のためにできることがある
わたしの父は脳腫瘍、脳の癌で闘病中です。
脳腫瘍にもいろいろありますけれども、そのなかでも悪性度のもっとも高い膠芽腫。希少癌と呼ばれるとても稀な癌です。5年生存率はわずか10%ほど。
わたしは2022年の9月にイギリスの大学院に留学しましたが、翌年の1月に父の癌が判明しました。
家族は、イギリスでがんばる私を気づかって、そのことを知らせませんでした。
ですからわたしは、帰国した2023年9月に、すべてを知ることになったんですね。
それこそ、ドラマかよ!という展開、あまりのショックにわたしはしばらく塞ぎ込みました。
わたしはまたイギリスに戻ってお仕事をしたい、イギリスに住みたいと思っていましたから、将来の計画がすべてひっくり返ったわけです。
あんなに元気で、病気ひとつせずに真面目に働いてきた父が、こんなことになるなんて。
神様なんていないじゃん。なにが「様」だよ、神様なんて呼ばれていい気になってんじゃねえよ。ふざけんな。そう思いました。
父の癌を知って1年以上になりますけれども、さまざまなことを経験しました。胸がつぶれるってこういうことなんだな、と思い知るような出来事もありました。
わたし自身の心を守るのにも、長い時間がかかりました。フリーランスを始めたてで、仕事にも追われていましたし、悲しい出来事に遭遇するたび、大泣きしたり。
それでも、全部が悲しいことかというと、そうではないんですよね。
どん底に見えても、どこかに光はあるものだと思います。Always look on the bright side of life、いつでも日の当たる場所を歩いていく。それがわたしの生きる指針です。
たとえば、父の誕生日にホールケーキを買って帰ることができる幸せ、たわいのないおしゃべりをして笑える幸せ、手編みの帽子をあげて、うれしそうにしてくれる父の姿。

わたしは先日の父の誕生日に、「65」のろうそくを立てられたことが心から嬉しかったです。

父を支えながら、取り乱さずに明るく振る舞ってくれる母。
看護師さんとお医者さんのやさしさ。
癌=最悪、どん底ではなく、周りの人たちの優しさや愛に気づくきっかけになりました。
わたしは、初めての訳書のあとがきで、こんなことを書きました。
「僕たちふたりとも、うまく人生は運ばなかったんだな、期待してた通りには」とルイスが言うように、現実は辛く、後悔や悲しみにあふれたものかもしれません。しかし、家族との不仲、最愛の娘を亡くした悲しみを抱えて、それでもアディーが「この手触りのある世界が大好きだもの。あなたと一緒の、手触りのある生活が好き。この空気も平原も。裏庭も、裏通りの砂利も。草も。ひんやりした夜も。ベッドに横になって、暗闇のなかであなたとお話しすることも」と言うとき、ささいな日常に隠れている喜びや楽しみが、かけがえのないものであることに、はっと気付かされます。ハルフは、本書の最後の言葉ーー「ねえ、今夜そっちは寒い?」ーーをとても気に入っていたと言います。ふたりの日常を切り取ったように突然「それから」で始まり、そしてアディーの何気ない言葉で突然終わってしまうことに、日々見逃してしまう日常のはかなさを感じます。
ケント・ハルフ『夜のふたりの魂』(河出書房新社)より
辛いように思える日常にも、ささいな幸せは、目を向ければきっとある。
この1年くらい、愛ってなんだろうと考えていました。
わたしがこんなに父のことを心配して、幸せになってほしくて、おいしいものを食べて、笑っていてほしいのは、わたしが父を愛しているからです。
愛って、その人が幸せになってほしい、笑っていてほしいとなんの混じり気もなく思える心、なのかなと最近は考えています。
そして、そうまっすぐに思えるほど、愛をひたすらに注いでくれる父に感謝です。本当に、大切に育ててもらいました。
これからなにが起きるか、どんなふうに日常が変化していくかわかりません。
それでも、思い出は消えないし、父からもらっている愛も消えません。
冒頭の歌詞に戻りますが、わたしはこの1年間、影のなかにいましたけれども、光を知っている。愛のためにできることがある。それに気づきました。
みなさま、良いクリスマスとお正月をお過ごしください。
あたたかくしてね❤
橋本あゆみ

