
JTF翻訳祭に行った話(その1)
JTF(日本翻訳連盟)さん主催の、第33回JTF翻訳祭2024に参加してきました。
今回は金沢開催ということで、ふだんは家にひきこもっているか、せいぜい家から半径1kmあたりをうろうろしているだけですが、ひさしぶりの遠出。
イギリスにいたころは、あっちこっち旅していましたが、日本に帰ったら暑すぎて命の危険を感じ、外に出る気がしませんでした。
ということで、えっちらおっちら、金沢まで出かけたわけです。
新幹線に乗ろう
ひとり旅は慣れていますし、そもそも日本なので特になんの支障もありませんでした。電車は遅れないし、新幹線は静かで快適だし・・・ただ、新幹線のホームで待っていたら、「先頭号車付近の撮影の方、下がっていただけますかぁ~」と、明らかにイラついた駅員さんのアナウンスが聞こえ、笑ってしまいました。撮り鉄さんたちが怒られていたんでしょうね。
駅員さんは毎日のことなので、うんざりした声になってしまうのもしょうがない・・・とは思いつつ、なんか自分が怒られているような感じがして、心の一部分がほんの少し削り取られました。
新幹線は定刻どおりにやってきました。「本日は満席を頂戴しております」というアナウンスが聞こえ、きちんと指定席にしておいてよかった~と思いました(頂戴しております、という言葉の響きがとても良いです)。
わたしは旅の計画をほぼ立てずにとりあえず行ってみるタイプですが(過去の旅日記を参照)、今回は「出張(※自腹)」という体なので、ちょっとくらいきちんとしよう、と無意識下で思ったのかもしれません。
ただ、出張だし、金沢には行ったことあるし・・・と言い訳して、観光の計画はほとんど立てませんでした。いつもなんとかなっているので、これで良いのです😃
こちらは駅弁。柿の葉寿司を買おうかな、と思っていたのですが売っていませんでした。どうして・・・?定番だと思っていたのに・・・


でもこちらもおいしかったです。
平日限定のTRAIN DESKという、主にお勉強やお仕事をする人のための号車に乗ったのですが、直前に予約したのでここしか空いていなかった、というだけのことです。もちろん窓際は空いておらず・・・
車内は静かで快適でした。この数時間を有効活用しようと、いま取り組んでいる児童書の校正をして時間をつぶしながら、いかにも社会人という感じを満喫しておりました。
実務翻訳系は守秘義務もありますし、わたし自身、家でしか集中できない性格なので基本的に外で作業はしないのですが、今回はわりと忙しめのスケジュールのなか「出張」しましたので、やむを得ず。NDAも締結していませんし・・・
公共のwifiを利用するときは、IPアドレスを保護するVPNが便利です。
わたしはNordVPNを使っています(宣伝ではありませんが、使いやすくておすすめです)。
金沢に到着
・・・無駄話が多くてすみません。
お仕事をしたり、ごはんを食べたり、寝たりしながら、やっとこさ金沢に到着しました。
ひさしぶり!
駅のデザインがなつかしかったです。観光客で激混みでした。

宿泊先の東急ステイ金沢までは徒歩21分、ということで、わたしは迷わず歩きました。歩くのは好きですし、日ごろ運動不足ですし。
少し空気はひんやりとしていましたが、さすがに20分弱も歩くと暑くなりました。
チェックイン前の時間だったので、荷物を預け、そのまま会場へ。
こちらが入口。

入場には、チケットを印刷して持参する必要がありますので注意です。思えばロンドンブックフェアも、ボローニャブックフェアもそうでした。地味に手間ですね!!!(特にわたしのような面倒くさがりには)
セミナー1つめ
1つめのセミナーは、アスカコーポレーションさんと関西大学外国語学部教授の阪本章子先生による、「AIと翻訳の融合:翻訳者に期待する新たな挑戦と機会」でした。
会場に早く着きすぎてしまい、わたしのほかには誰もいなかったのですが、そのおかげで登壇者であるアスカコーポレーション執行役員の佐藤さんと少しお話しをして、名刺を交換することができました。やったね!
あとでオンデマンド配信されるので、詳細はあまり書かないほうが良いのかな?と思いますが、AIと翻訳というのはもう、翻訳者にとって逃げ切れないテーマになったのだなぁと思いました。翻訳業界だけではなく、ほかの業界にも当てはまるでしょうけど。
Google 翻訳などはコピペするだけで訳せますから、余計に、翻訳者はAIに取って代わられるというイメージがつきますよね~それに、翻訳を必要としているお客さんのなかには、AIくらいの精度でまあまあいい感じに訳してもらえれば十分、翻訳にかけるコストは必要最低限で良いのだ、という方もいらっしゃるでしょうし。
今回の翻訳祭は「ことばを伝える」そして、「情報、技術、文化、そして心を伝える」というテーマでしたが、それで心は伝わるのでしょうか?AIに心はわかるのでしょうか・・・そもそも心ってなんでしょうね。伝えるってなんでしょう。
人によって、言語を身につける過程はいろいろで、ある程度の共通理解はあるにせよ、ひとつひとつの言葉や表現に対する印象は違うものです。
原文を読み、どれだけの感受性をもって、どれだけのことが汲み取れるか?
それを別の言語で表現して、自分とはまったく異なる感受性をもっているかもしれない誰かに伝えるのは、そもそも可能なのでしょうか。
わたしの文章は、わたしの知らない誰かに、どんな印象をもって読まれているのでしょうか?
長くなりましたので、その2に続きます~
